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あんまりリアルな映像を見ているとかえって幻想的な気分に襲われることがあるけど、ありゃあ何なんだろうね。
『2001年宇宙の旅』 (1968年/監督スタンりー・キューブリック/ケア・ダレー、ゲーリー・ロックウッド) 今でも時々、この映画の美術を、手塚治虫が引き受けていたらどうなっていただろう?と考える事がある。※ そして、きっと、あれほどの傑作にはならなかっただろうな、と思うのだ。 何も、手塚治虫の才能がどうこうと言っているのではない(今でも、私は手塚治虫は、最高のSF作家の一人であったと信じている)。当時の手塚作品の画風と、出来上がった「2001年」の映像との間には、余りにも大きな開きがあったからだ。(むしろ、この映画が世に出てから、画風に影響を受けたのは、手塚治虫の方だった) 当時としては、手塚風の丸っこい線のロケットや未来都市の方がむしろ当たり前のSF的な「絵」であったのだが、そこに、あのキューブリックの無械的な線で構築された宇宙ステーションやディスカバリー号の姿が登場してきたときのショックは大きなものがあった。そして、その驚きは、「2001年」以降のSF的表現を決定的に変えてしまう事になる。 「2001年」の登場は、SF映画にとって、最大のエポックメイキングとなる、まさに『大事件』だったのだ。 * この物語での「ファースト・コンタクト」は、400万年前の猿人と謎の「モノリス」の出会いから始まる。 画面に、と言うより、物語の中に、人類以外の知性体が直接登場してくることはない。(知性体を象徴するのは「モノリス」(クラークの小説では「l:4:9」とされているが、映画だとかなり縦長になっている)という存在だけである。 そして、この人類の理解をはるかに超えた知性体は、ついに最後までその姿を現すことはない) モノリスは、人類を月へ、そして木星へと導き、ついには飛行士ボーマンを未知の領域へと連れて行くのである。 * と、話を進める前に…… 「2001年」より12年前に、もう一つのエポックメイキングとなる映画が作られている。「禁断の惑星」(1956年/監督フレッド・M・ウイルコックス/ウォルター・ビジョン、アン・フランシス)である。 * 惑星アルティア4で消息を絶った調査隊の行方を探るために、新たな調査隊が派遣される。彼等が、そこで出会ったのは生き残りのモービアス博士と一人娘のアルティアであった。 すぐに立ち去れ、という博士の忠告を無視して惑星に居座った調査隊は、やがて姿の見えない怪物に襲われることになる。 イドの怪物、と呼ばれるその存在は、惑星の先住民が残した技術によって実態化した、博士自身の潜在意識であった。 * この40年近くも前に作られた作品は、いま見ても充分に鑑賞に堪えるだけの質の高さを維持している。これは、時の流れによって、描かれた未来が瞬く間に過去のものになって行く運命を背負わされたSF映画にあっては、殆ど奇跡的な事である。 勿論、登場人物のコスチュームは、古き良き50年代SFのパルプマガジンの表紙そのものなのだが、宇宙船の窓から見える惑星の姿は最近の作品の映像と比べても何の遜色もないし、先住民の遺跡の景観は見事である。 そして、何と言ってもこの作品に魅力を添えているのは、「ロビー」の存在である。この、後に、「宇宙家族ロビンソン」にも登場する(デザインは少し変わっているが)ロボットの「血」は、「スター・ウォーズ」のR2D2やC3PO(そしてドラエモン)にと受け継がれていくことになる(もっともR2D2達が、ロビー以上に魅力的な存在になり得たのかは疑問もあるが)。 あれやこれやのSF的なアイデアと、確かなビジュアル感覚が見事に溶け合った傑作である。 で…… 「禁断の惑星」を見ていると、SF映画の命を長らえさせるために必要なものは、「今日から見た未来像」ではなく、「未来の目で見た未来像」に他ならない事に気がつく。 そして、それを殆ど完璧な形で造り上げて見せたのが「2001年」なのだ。 キューブリックの完璧主義と、クラークの確実に未来を見通す洞察力があいまって、この世界の屋台骨は、殆ど揺るぎない物に仕上がっている。 公開当時、SF作家の中でさえ、「わけがわからん」「説明不足だ」という声があったが、「え?どこがそんなに分かりにくいんだろう?」と、私は首を捻ってしまった。 見たままを素直に受け入れるしかない『文系SFファン』である私には(SFファンがみんな科学に強いと思ったら、そりゃあ大きなかいかぶりってものですぜ旦那)、むしろすんなりとメッセージが伝わってきたのかもしれないが、後から、クラークの小説を読んでも、その印象は殆ど変わらなかった。 確かに、説明は極端に省かれているし、イメージの飛躍がストーリーを追う事を困難にしている点はあるが、余りそれらに拘って見る必要はないように思える。 後に作られた「2010年」は、親切すぎるくらい分かりやすくできていたが(まあ、登場人物のよく喋ること)、それで、「2001年」以上に面白くなったかというと、必ずしもそうではなかった。 細かいところの説明をすべて求めるのなら、映画が小説に勝てるわけはないのである。映画でSFをやろうと思ったら、自ずと違う方向を目指さざるを得ない。 で、それが、どっちの方向なのか仲々見付からないところが、まさに泣き所なんだなあ。 ▼ そういえば、謎の知性体=地球侵略、という単純な図式があったなあ……というわけで、次回は、その辺の作品を…。 ※有名なエピソードだから知っている方も多いと思うが……ある日、キューブリックから「2001年」の美術を引き受けてもらえないかという手紙が届いたのだが、その頃虫プロの経営で手を離せなかった手塚治虫は、断りの返事を出してしまった…という話。 1995.6.18
by ctkuromame
| 2005-09-10 10:00
| 少しばかりSFな日々
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