宮崎駿は、なぜあそこまで「飛ぶ」ことにこだわり続けるのだろう?
昭和38年にテレビで「鉄腕アトム」がはじまるまで、日本の漫画映画(アニメーションという言葉はまだ一般的ではなかった)といえば、東映動画のそれが主流だった。
映画館で観る漫画映画は、実写の映画とはまた違うわくわく感を子どもたちにもたらしてくれたものだ(それは、今も変わらないことだろうと思うが)。
宮崎駿は、その東映動画を経て、やがて「風の谷のナウシカ」(84年)を作り、「千と千尋の神隠し」へとつながってゆく。
「ナウシカ」をはじめて観たときの感激は今も忘れられないし(もう20年近くが経ってしまったのだが)、その後の作品でも宮崎駿は、さまざまな感動を与え続けてくれた。
だが、「魔女の宅急便」(89年)から少し時間のおかれた「もののけ姫」(97年)
には、少々物足りないものを感じてしまったのも事実だ。確かに、けして凡作ではないし、自然と人間に対する宮崎駿の思いは伝わってきたものの、わたしには「となりのトトロ」(88年)を越えるような作品には見えなかった。
なんとなく、登場人物たちは地上から離れられぬまま、宮崎アニメ独特の浮遊感をあまり感じられなかったからだ。それはなにも物語の中に主人公たちが空を飛ぶシーンが登場しないからという、物理的な理由からだけではないと思う。
「もののけ姫」の舞台が、答えの出てしまった過去ではなく、現代や未来だったら、また感じ方は違ったのかも知れないのだが。
2003.2.1