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『SF』と、『SFに似たもの』の間には百万光年以上のふか〜い溝があるのだ
よ、ワトソン君。※ 『大怪獣バラン』 暗い夜空に、幾つもの照明弾がふわふわと浮かび、それが怪獣の口に飲み込まれて行く。モノクロの画面であるはずなのに、なぜかその照明弾は、オレンジ色に輝いて見えた。 東宝映画「大怪獣バラン」(1958年・本多猪四郎/円谷英二・そして音楽は勿論伊福部昭)の一場面である。 『SF』の話をするのに、なぜ怪獣映画の…しかもゴジラならともかく…マイナーな上にそれ程の傑作とも言えぬ作品の話から始めたのかというと、理由は至極簡単。この映画こそ、私が生まれてはじめて見た映画だったのである。(その前にも親に連れられて観に行ったことがあるのかもしれないが、記憶の底にはこれしか焼き付いていないのだ) と言ってはみたものの、近頃とみに怪しくなっている記憶力だけではどんな内容の話だったかとんと思い出せないので、早速ビデオを借りて来て見直してみることにする。 * ロケットの打ち上げシーンで映画は始まる。てっきり宇宙ものか?と思っているとさにあらず。 「宇宙時代に入っても、地球には謎がたくさんあるんだぞ」というナレーションが入ってくるのだ。(この辺、「ウルトラQ」ののりである) 東北、北上川の上流の秘境(?)で、シベリアにしか存在しないはずの蝶が発見される。その調査に向かった生物学研究室の二人が、謎の怪死を遂げるところから話は始まる。 その謎を解決すべく乗り出す研究室の同僚(野村浩三・妙に白塗りで気持ち悪い)と死んだ研究員の妹で新聞記者の若いお姉ちゃん(園田あゆみ・兄が謎の死を遂げたばかりだというのに、なぜか明るくて元気一杯)。その二人の前に湖から姿を現したのが大怪獣バラン(中世代の生物で、本名をバラノボーダーとか言うらしい。それにしても、村人たちが、この怪獣をバラダギ様と、ひどく学名に近い名前で呼んでいたのは偶然の一致なのかね…?)である。 お陰で、秘境の村は、バランによって壊滅状態。 自衛隊が乗り出して、バランを退治しようとするが、怪獣は突如空を飛んで東京湾へと逃げてしまう。(あんな薄っペらい被膜だけで空を飛べるなんて、何か超能力でもあるのか知らん?…何故か空を飛ぶのはこの時だけである。) 首都を荒らされてはならじと、自衛隊は必死の防戦を続けるが、バランの体は、いかなる砲弾も受け付けない。 そこで取られた最後の手段は…。 と、要約するとこんな話である。 * ここには、スーパー兵器など登場せず、徹底的に人間対怪獣の攻防だけで物語りは進められて行く。その点では、後の怪獣ものに比べて地味ではあるが、自衛隊員の活躍ぶりなど妙に生き生きとしていて、かなりユニークで面白い出来になっている。(ミニチュアワークは、だいぶんちゃちだが) 余り金掛けてないなあという印象で、ストーリー的には、殆どゴジうの縮小版みたいなものである。ただし、似ているのはストーリー展開だけで、怪獣自身に関して言えば、ゴジラとの差は歴然としている。 それでは、「バラン」と「ゴジラ」の決定的な差は何なのかというと、その「怪獣としての存在の必然性(なんのこっちゃ?)」にあるのではないか、と愚考する次第。 ゴジラは、その時代背景もあって、「核」という重い荷物を背負いながらこの世に生を受けて来たのだが、バランの出現に対しては、「この世には人間の知らない不思議なことがまだまだあるんだよ〜ん」というしごくあっけらかんとした理由付けしかされていないのだ。よくある「自然の怒り」の象徴てえわけでもなさそうだ。ま、何の必然性もなく出てくる怪物の方がある意味じゃ怖い、のかも知れんが……ただ、そうなると、ゴジラでは説得力を持っていた「余り根拠のない疑似科学」の重みが、がらがらと音を立てて崩れてしまうことになる。まあ、単に「怪獣映画」として見る分には、科学的根拠(それが、実際の科学と合致しているのか、それとも架空の理論の上に成り立っているのかということは別問題として)など余り必要ないのかもしれないが、SF映画としてどうかという見方をしてゆくと話は大分違ってくる。 SFを読んだり見たりする時の醍醐味の一つは「そんな馬鹿な!でもひょっとすると……?」というセンス・オブ・ワンダーを感じることにあるのだが、「バラン」にはそれがない。 「バラン」が、「ゴジラ」に比べて深みや説得力に欠けるのもその辺りに原因がありそうだ。(こいつは、最近の作れば作るほど悲惨なことになって行く新作の「ゴジラ」シリーズにもそっくりそのまま当て嵌まる……悲しい事に) 日本の映画監督の中では、珍しくSFマインドを持っていた一人ではないかと私が思っている本多猪四郎にして、この壁を打ち破るのはなかなか至難の技だったようだ。(いま見てもけっこう良く出来ている「宇宙大戦争」(1959年/本多猪四郎)にしても、かなりメチャクチャで笑える部分が出て来るもんネエ) フム、どうもその辺に、「SF」と「SFに似たもの」の境目が見えてきそうな気がするなあ。 では、怪獣に比べてと恐竜ものがどれほどSFであるのか…というところでスペースが冬きた。この続きはまた今度。 ▼ というわけで、次回は『ジェラシック・パーク』辺りでも(?) (結局、「バラン」の中で、私がちゃんと覚えていたのは、冒頭に書いたシーンだけだったらしい) ※ その違いが何か、と言う事をSFファン以外の人々に理解してもらうためには、まずその相手にSFファンになってもらう必要があり、SFファンになってもらうためにはSFを読んでもらわねばならず(是非とも活字から入ってもらわねばならないのだな、これが)、そのためには、SFのどこが面白いのか説明せねばならず、その説明のためには…という果てしのないドロ沼に落ち込んでいくことになってしまう。そういう無駄な努力、とっくに諦めてしまったのだ、わたしゃ。 1995.2.15
by ctkuromame
| 2005-09-07 10:28
| 少しばかりSFな日々
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