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「SF読みのSF知らず」という言葉がある。※
角川春樹の作った「SF」映画を見て、ああ、その通りだなあ…と思ったのである。 『ターミネ一夕ー』、『ファイナル・カウントダウン』、『戦国自衛隊』、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』、『時をかける少女』、『タイム・コップ』、『タイム・アフター・タイム』そして『タイム・マシン』と、思い付くままにあげた映画に共通のテーマは何か?などと聞くまでもなく、『時間旅行』であることはすぐお分かりの事と思う。 さて、SFの中で、一番面倒な問題を抱え込んでいるのが、この「タイム・トラベル」、或いは「タイム・スリップ」と呼ばれる分野なのである。 その「問題」というのは、『タイム・パラドックス』という代物である。 『タイム・マシン』 (1960年/監督ジョージ・パル/ロッド・テイラー、イベット・ミミュー) 「時間を遡る」または、「未来へ旅をする」という「概念」の発明は(「機械」の発明ではない。念の為)、SFにとって、H・G・ウェルズが行った最大の貢献であろう。 * この、タイム・トラベル物の原典をもとにした映画の舞台は、1899年のロンドンである。 主人公のジョージは、「タイム・マシン」を発明し、その実験に自ら臨むことになる。(時間の経過は、自宅の向かいにある、ブティックのショウウィンドウのマネキンの服装の移り変わりによって表現される) そして、『1966年』にハルマゲドン(核戦争)が起こって、人類が滅亡に瀕するのを目撃したあと、彼は、一気に80万年後の世界へと飛ぶ。 そこに住む人々は、皆若く美しい。誰も働く必要もない平穏な世界で、一見楽園とも思える場所であった。 ジョージは、そこでウィーナという少女と出会うのだが…。 * この映画には、まだ「パラドックス」は、表立って登場してこない。 ∞ パラドックス=逆説。最も有名なのが、『タイ・ムマシンにのって過去に行き、自分が生まれる前の父親、または母親を殺したら、自分の存在はどうなるのか?』という、あれである。 ∞ ジョージは、タイム・マシンを、まさに時間旅行の手段としてしか利用していない。時間を旅する事で出て来る様々な矛盾には余り関心がないようだ。 その証拠に、彼は、マシンを恋人を助けるために使うだけで、「ハルマゲドン」を阻止しようとも考えていないように見える。(もっとも、ハルマゲドンが起こらなければ、ウィーナもこの世に生まれてこないのかもしれないのだが…ね、こういう矛盾がいくらでも出てくるんですよ) まあ、世界で初めて、タイム・マシンを発明してしまったのだから、そこまで頭が回らなくても、無理はないのかもしれないけどねえ。 ◆ だが、その後作られた「時間物」映画は、しだいにこのバラドックスを意識するようになって行く。(もっとも、これは、タイム・マシンを、単なるガジェットとしてしか使っていない作品には当て嵌まらない……単純に、主人公が過去や未来に行って暴れ回るといった……が) ◆ 日本とアメリカに、似たようなシチュエーションの「時間物」の作品がある。 『戦国自衛隊』 (1979年/監督 斎藤光正/千葉真一、夏木 勲、渡瀬恒彦) と 『ファイナル・カウント・ダウン』 (1980年/監督ドン・テイラー/マーチン・シーン、キャサリン・ロス) の2本である。 どちらも、「現代」の「軍隊」が、「過去」の「戦時中」にタイムスリップして、「歴史に介入」しようとする…、というよく似た筋立てなのだが、出来は違う、ま〜ったくちがうのである。 * 『戦国自衛隊』 自衛隊の、一個小隊が戦国時代にタイムスリップして、大暴れするというこの映画は、半村良の原作に忠実に作られている、わけではない。 原作より良くなるのであれば、話が変わっても構わないのであるが、青春群像映画としては、まあまあの出来であるこの映画が、SFとしては全くの駄作と化してしまった原因が、その改変のせいであるとすれば、脚本家の責任は大きい。 とくにひどい変更が加えられたのがラストの筋立てである。半村良は、「なぜ、自衛隊がわざわざ戦国時代に出張しなければならなかったか」を、明確に示しているのだが、映画の方は、その部分をきれいさっぱり切り捨ててしまったのである。 この「ラスト」がなければ、この話は、SFとしては何の面白さも、そもそもSFである必要さえもなくなってしまうものなのである(どういう落ちなのかは、是非原作をお読み頂きたい)。 そこへ行くと、である。 * 『ファイナル・カウント・ダウン』 話の作りは、極めてオーソドックスである。(SFとしては、という意味である) 1980年、ハワイ沖を航行していた原子力空母ニミッツは、真珠湾攻撃の現場にタイムスリップしてしまう。 日本軍と遭遇した、ニミッツは決断を迫られる。 過去に取り残された兵士の運命は…、という伏線も、きちっと最後まで生かされている。 勿論、日本軍と、ニミッツの戦闘が起こる前に再びタイムスリップが起こって、タイム・パラドックスは、回避される。これは、「歴史改変」が主題の映画ではないからである。 ところが、同じく「歴史改変」が目的ではなかたはずの「戦国自衛隊(原作の目的は逆である)」では、一番肝心なその部分が見事なまでにすっぽりと抜け落ちてしまっているのである。 「時間物」のSF映画を作るなら、よほど脚本を練り上げないと、とんでもない落とし穴に落ちる危険が常に大口を開けて待っているのだ。 ※勿論、もとの言葉は「論語読みの論語知らず」である。(蛇足までに) ▼ 「タイム・マシン」では、1966年にハルマゲドンが起きるが、その頃(1964年)にもう一つのハルマゲドンが起きている。「渚にて」である。 1995.12.30
by ctkuromame
| 2005-09-15 10:21
| 少しばかりSFな日々
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