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今日に至るまで、『核による安全保障』という子供染みた『幻想』は、「文化国家」フランスをもってしても拭いがたい支配カを持ち続けている(96年、フランスによるムルロワ環礁での核実験があった)。
オウム事件によってすっかり市民権を得てしまった観のある「ハルマゲドン」という言葉だが、もともとは、キリスト教の方から出てきた言葉である。(だから、仏教徒であるはずのオウムが使うこと自体、もう大嘘なのであるが) ∞ ハルマゲドン=harmegiddo(メギドの丘)、パレスチナの都市。(ヨハネの黙示録16−16 三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを招集した) 終末に、悪魔的な地の王と、神の最後の戦いが行われる土地の名である。 つまり、もともと神と悪魔の戦いの場所であったものが、いつの間にか、核兵器等による最終戦争の代名詞になってしまったわけである。 ∞ 『渚にて』 (1959年/監督スタンり−・クレイマー/グレゴリー・ペック、エバ・ガードナー、アンソニー・パーキンス) 核戦争を扱った映画というと、どうしても派手な都市崩壊の場面を思い浮かべがちだが、この作品には、そんな場面は全く登場しない。 すでに戦争は、終わってしまっているからだ。 にも拘らず、人々は死んで行かなければならない。これは、その人々を描いた物語である。 * 1964年、世界は、ほんの一部を除いて、核戦争によって滅び去っていた。そして、わずかに残されたその一部にも、放射能の影が刻々と忍び寄っていた。 そのわずかに残された世界、オーストラリアの人々は、死の影に怯えながらもいつもと変わらぬ日常を送っている。 そこに訪れるアメリカの原子力潜水艦。だが、彼等も希望の光りではなく、取り残された人々の一員に過ぎない。 物語は、その潜水艦の艦長(グレゴリー・ペック)と、オーストラリア人の女(エバ・ガードナー)の関わりを軸にして進められて行く。 そしてある日、潜水艦は、アメリカのどこかから発信され続けている謎のモールス信号の正体を調べるために旅立つのだが… * 果たしてこんなにも冷静に滅びを向かえられるものだろうか、と思うほど静かな映画だ。 勿論人々の心の葛藤はあるのだが、なんだか日本人でもこうはいくまいと思う程諦めがいいのだ。 その日本人によって、この2年後、本格的なハルマゲドン映画が作られている。 『世界大戦争』 (1961年/監督 松林宗恵/特技監督 円谷英二/フランキー堺、音羽信子、星由里子、宝田 明) * 同盟国側(西)と、連邦国側(東)の緊張が日に日に高まる中、外人記者クラブの運転手一家の何気ない日常を軸にして物語は進んで行く。 東西間の戦争が起こりそうだという情報が流れるが、主人公(フランキー堺)の関心があるのは、それによって株価がどう動くかだ。他の人々も、漠然とした不安を抱きつつも、いつもと変わらぬ日常生活を送っている。 その間、東西は何度かの危機を迎えつつも平和を取り戻すかに見えたのだが、ある日突然最期はやってくる。 かくして日本は、いや、世界は第二次世界大戦終了から、僅か16年で滅び去る事になるのである。 その最後の日、運転手一家は、我が家で御馳走を並べて、その時を待つのである。まるで、今の生活が明日も続くかのように…。 子供の頃見たきりなのでビデオを借りて見直したのだが、これがどうして仲々に力作なのである。 なるほど松林宗恵の演出は平凡だが、円谷英二の入魂とも言える特撮がそれを補って余りあるものがあるし(勿論、今日のコンピュータを駆使したSFXから見れば素朴なものだが、これは比較すること自体あまり意味がないし、最後の、核による東京破壊のシーンには、テクニックだけではない凄まじさがある)、これだけ大まじめに、真っ向から「日常」と「核戦争」に取り組んだ映画は、これ以後も他にないような気がする。 この二つの作品に共通しているのは、核戦争が起こるのが、速い未来の話ではないことである。 60年代は、まさに核の恐怖が、日常的に存在し続けていたのである。(子供の頃、ビキニ環礁で核実験があると、放射能の雨が降るから、必ず傘をさすようになどと言われたものだ) そして今、冷戦構造が壊れて、その恐怖がなくなったかというと、実は、世界はもっと危ない縁に置かれているのである。 にも拘らず、アメリカ映画に登場する核兵器は、まるでゲームの駒並みの扱いしかされていない。 核による惨状を比較的まともに描いていたのは「ターミネーター2」だが、他のアメリカ映画に登場する核戦争後の世界は、余りにも能天気に見える。(「世界が燃え尽きる日」しかり、「ザ・デイアフター」しかり)原爆を落とした側の、鈍感さ、と言ってしまえばそれまでだが。 エノラ・ゲイ展示騒ぎの時のアメリカ人の反応を見ていると、やっぱり不安は拭い切れなくなるのだ。 さて、「ハルマゲドン」を生真面目に描いた作品ばかりかというと、そうではない。 『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて原爆を愛するようになったか』 (1963年/監督スタンリー・キューブリック/ピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット) この長ったらしい副題の付いた映画(Dr.Strangeloveを、「博士の異常な愛情」と訳しちまうのが凄いが…)、御覧になった方も多いと思うが、今日においてこそもう一度見直してもいいのではないか、と愚考する次第。 * アメリカの戦略空軍基地の司令官、ジャック・リッパーは、「聖なるアメリカ人の体液」を守るため、核兵器を積んだB52の群れをソ連に向けて発進させてしまう。 危うい所で、爆撃機に引き返し命令が出されるのだが、一横だけ無線の故障でそのまま目標に向かって飛び続けてしまう。 ソ連には、安上がりだという理由だけで造られた、「皆殺し兵器」があって、どこか一か所でも核攻撃されると、自動的にそれが作動してしまうというのだ。そうなると、地上は、100年以上人の住めない死の世界になってしまう…。 * 何と言っても、一人三役のピーター・セラーズの怪演(?)、中でもDr.ストレンジラブ(異常愛という意味のドイツ名を英訳したのだそうだ)が、やはりピカ一なのだが、それ以上に、ラスト、次々と核が爆発する光景をバックに、「また会いましょう…いつかある晴れた日に…」という女性の歌声が流れるシーンが強烈に印象に残る映画である。 ▼ ハルマゲドン以後を描いた映画となると…うん、あれがあったな。 1996.2.29
by ctkuromame
| 2005-09-15 17:38
| 少しばかりSFな日々
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