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リアルであることが必ずしも真実に近いとは限らない。
う〜む、馬鹿に哲学的ではないか…。 『宇宙水爆戦』 (1954年/監督ジョゼフ・ニューマンフェイス・ドマーグ/レックス・リーズン、ジェフ・モロー)(やっと、レンタル屋でビデオ発見) * 原子力科学者のカール・ミーチャムのもとに、ある日のこと、不思議なコンデンサーが送られて来る。 その製造元に、試しに梯械部品を注文して見ると、「インターロシター」という、謎のキットが送られて来た。 マニュアル通り、それを組み立てると、一台の受像装置が出来上がった。電源を入れると、モニターに一人の男が登場し、カールを自分の研究所に招待すると言って、マニュアルや、インターロシター自体をも破壊して消え去ってしまう。 カールは、仲間の止めるのも聞かず、迎えにやつてきた無人の飛行横に乗り、研究所へと向かう。 着いた飛行場に、彼を迎えにやってきたのは、かつて会ったことのある、ルース・アダムスという原子力科学者だったが、なぜか、披女は、初対面だと言いはる。 研究所で、彼を待っていたのは、インターロシターに登場したあのエクセターと名乗る男だった。 実は、エクセターは、メタルーナという星からやってきた異星人であり、自分の星を敵であるゼーゴンの手から救うために、地球の科学者のカを借りにやってきたのだと言う。 そして、カールとルースの二人は、風要急を告げるメタルーナを助けるためにと、無理やり宇宙空間へと連れ去られてしまう。 果たして、彼等は、メタルーナを救うことができるのか?もし間に合わなかったら、メタルーナ人たちは…. * 今でも、画面の美しさには、一見の価値がある。と、まずはほめておこう。 お話の方はといえば、50年代、60年代SFの典型と言っていいだろう。S(サイエンス)Fだからといって、本当に科学的であるとは限らない、と言う見本みたいな映画である(一体、地球の成層圏は、どこまで続いとんのじゃ!とか、宇宙船のバックの星たちよ、そんなにビェンビュン動くんじゃない!とか、なんでわざわざ地球の科学者に助けを求めに来るんだ?とか)。 だが、それは、特別作品の面白さを左右する原因にはなっていないようだ。 まあこ今のSFXや、アクションを見慣れた目から見ると、何とも間延びしたテンポに思えないこともないが、昔のSF映画が持っていた美しさを確実に伝えてくれる映画だと思う。 ★SF的設定として… さて、この映画が、リアルであるかといえば、まあ違うだろう。 では、この映画以上に、最近のSF映画がリアルになったか、といえば、それもまた疑問である。 もともとが、ハードSFであった作品などは、かなり几帳面に科学的考証がなされているけれと(「2001年」が、その典型)、画面の上で、何となくリアルに見えるからといって、必ずしもそれが科学的にきちっと作られているとは限らない、というのが本当のところだろう。 では、それがいけないことか?というのが、SFファンとしての悩みの種なのである。 『活字SFファン』のひとりとしては、やはり、科学的にはなるべく正確なものをと考えてしまうのだが、映画が面白くなるなら、多少の嘘はいいではないか、とも思ってしまうのだ。 「ウルトラマン」や、「ゴジラ」を科学的に考えるとどうなるか、といった類いの本が出されて、かなり売れたようだけれど、ウルトラマンが、あのスピードで空を飛んだら首が取れてしまうとか、ゴジラは、自分の重さで潰れてしまうとか言われても、ソレガドオシタ、と思ってしまうのだ。 それは、科学者としては、正しいおちょくり方なのかもしれないが、SFファンから見れば、かなり的はずれな「カタハライタイワイ」論議にしか見えない。 それくらいの、嘘っぱちは、端から承知して見てるんだこちとらは!と言いたくなるのだ.(でも、裏を返せば、映画で描かれているSF的な世界は、殆ど嘘で成り立っているのだということにもなってしまうのだが) だから、というわけではないが、余計に、SF映画と、ファンタジーの境は曖昧になって行くのである。 ★美術的に見ると… 先に、『画面の美しさには、一見の価値がある』と書いたが、セットが美術的に見ても美しい、というのも勿論あるのだが、この頃のSF映画(とくに宇宙などを舞台にしたもの)に共通していえるのは、その奇妙なまでの清潔感である。 科学研究所とか、宇宙船内部が清潔なのは当たり前と言ってしまえばそれまでだが、登場人物の着ているものから、日用品まで、妙にこざっぱりとしていて、塵一つ無いといった感じなのだ(この、いかにも作り物といった美しさこそ、当時のSF映画の持っていた手触りだった)。 恐らく、当時の人々の中には、科学が進めば、、世界はきっと「きれい」になって行くに違いないという共通した幻想があったのだろう。 現実は、御覧の通りである。 科学製品が発達すればするほど、我々は、余計なゴミを抱え込むことになってしまった。 確かに、「スター・ウォーズ」以降、画面に登場する機械類やセットは、より生活感のあるものが多くなった(伝統を守っているのは、「エンタープライズ」くらいなものである)。 そして、「スター・ウォーズ」以上に、近未来の世界を生活感一杯に描き出して見せたのが、「ブレード・ランナー」※だった。 そして、「ブレード・ランナー」から後の未来は、ますます汚れて、住み難くなって行く事になる。(だからといって、それが本当にリアルな未来風景であるという保証はどこにもないのだけれど) で、結論を言うと……実は、結論はないのである。 『絵』としての、面白さを取るのか、『ストーリー』としての面白さを取るのか、と言われれば、今のところ、『映画』としての面白さを取るしかないというのが正直なところ(まあ、これは他のジャンルの映画でも同じ事ではありますわな)なのであります。 ▼ ※やはり、次回は、「プレード・ランナー」と、「トータル・リコールを、やらずばなるまいなあ…。 両方の共通点?原作者が、『フイリップ・K・ディック』であるという事です。 1998.5.15
by ctkuromame
| 2005-09-23 09:45
| 少しばかりSFな日々
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