「紅の豚」(92年)は、いかにも飛ぶことにこだわった宮崎駿らしい、というよりほとんど彼のプライベートフィルムのような作品である。
おそらく、豚に姿を変えた主人公ポルコは、アニメのなかで自在に飛翔したいという宮崎駿自身の変身した姿でもあるのだろう。
ただ、この作品を境に、何となく彼のなかでひとつのピークが過ぎてしまったのかな、と感じさせる映画でもあった。
だから、久しぶりの作品の「千と千尋の神隠し」という少しばかり古めかしい題名を耳にしたときも、正直言ってあまり期待は抱かなかったのだ。
だが、その思いはいいほうに裏切られた。
主人公の千尋は、宮崎作品のなかでも最も平凡な、特別自立心が強そうにも見えない、いまどきの女の子である。ましてや、ナウシカやもののけ姫のように、特別な世界に生きてきたというわけでもない。
それだけに、非日常の世界に放り込まれた彼女の心の成長が、見事に浮き彫りにされて来る。
八百万の神々という土俗的な舞台背景を、古くさいという若者もいるようだが、アニメーションの語源がアニミズム(すべての物にも魂があるとする宗教観)と同じであることを考えれば、これほどアニメにぴったりの世界はないではないか。
ユーモラスかつ不気味な湯屋から、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思わせる電車の旅への、動と静の切り替えもまた心地よい。
年を経て、宮崎駿は、また別の飛び方を見つけたのかも知れない。
2003.2.15